公宇暦三十二万五千七百八年 三月二十二日 午後九時七十二分 天曜
記載者 篠崎 志
俺の名前は篠崎志、と書くと出来の悪い少女漫画みたいだな。
あと四行ほどはただの覚え書きが続くので、これくらいの冗句は許してくれ。
今回の任務である「宇宙都市シャングリラ」への寄港、そして接触には成功した。当分は「宇宙都市シャングリラ」の住人として、俺も生活することになる。
「宇宙都市シャングリラ」は名前の通り、夢のように贅沢で、幻のように空洞だ。
どうやってこの星が成立しているのかは見当も付かない。
(以下は共通宇宙語以外の言語で記載されているため、読み取り不可)
◇◇◇
篠崎志が「宇宙都市シャングリラ」に到着したのは、宇宙共通で使われている暦である「公宇暦」で三月二十二日のことだった。七つある曜日だと天曜にあたる。
「ホワイトデーには遅すぎた、か」
ふわりと、スーツの裾をなびかせながら地上に降り立つ。かつんと靴底に硬い感触を覚えた。
志を含めて、新たな十三人の住民を乗せた宇宙船「島風」はとうに「宇宙都市シャングリラ」を離れて別の衛星軌道上に乗ってしまっている。
当分はこの星から離れることはできない。遊びではなく、仕事で来星したので十分に承知している。だけれども、辞令が下り、居星をしばらく留守にすると恋人に伝えたら大層怒られた。仕方のないことだ。志の職業からしてみても、恋人の心境からしてみても、簡単に折り合いのつくことではない。
ただ、願うのは一つ。
「浮気はしないでくれよ……」
志は落ちそうになる肩を支え、背筋を伸ばした。初見の地で気を抜く訳にはいかない。
すでに「宇宙都市シャングリラ」での事務作業は総務課が終えてくれているはずだ。与えられた資料に従って星内を歩いていく。
誰しもが、笑顔だ。
不気味なほど楽観した笑みを浮かべ、軽やかな笑い声を道行く人々は上げている。不安も心配も何一つないとでも言いたげな様子だった。眺める志の胸に広がるのは安堵ではない。
疑念だ。
志も得られる限りの資料をたぐって「宇宙都市シャングリラ」についての情報を得た。この年の住人は主に三つの存在に分けられる。
創設者、天使型、関係者。
志も立ち位置としては関係者に属することになる。天使型として潜入捜査するのはまっぴらごめんだった。願いを叶えるほどの絶望など抱えておらず、また今後も抱える気は無い。
ただ、天使型になるのには絶望が必要だと知った。その一文が目に入ったときの気持ち悪さはまだ胸の奥で燻っている。
志が住居への道を歩くこの途中にも、関係者と天使型は混在して生活している。そのどちらもが、不幸も不満も見せないのだ。
絶望しているだろうに。
かつての星を、世界を見捨てるほどの衝動を抱えて「宇宙都市シャングリラ」に訪れただろうに。
怖気が立つほどにこの都市の住人は幸福だ。
「とはいえ、人様の不幸をこちらが決めつけるのも、趣味が悪いな」
独りごちて、考え直す。
自身の偏見によって、事態を捉えてはならない。あるがままを見て、あるがままを受け取り、報告する。もしくは対処する。
志に求められている成果は公正さによるものだ。
そこまで考えたところで、足を止める。白く細長い建造物がいくつも並ぶ区画に出た。この中の第二棟が志の住居となる。
入口の横に立てられた看板から、第二棟を探していった。すぐに見つかったため、第二棟の四階七号室に向かって志は歩き出す。
入口を閉ざす扉は与えられた鍵で開けることができ、エントランスに入った。上の階に上がるためのエレベータも設置されている。だが、志は階段を使って上ることにした。
これから先を考えると、体を鈍らせるわけにはいかない。
志はかん、かんと階段を踏みしめて上へと進んでいく。その途中で見かけてしまった。
二階と三階の半ば辺りだろうか、青緑色した髪の少年がぼんやりと手すりに腕を預けて、空を見上げている。
志はその時、初めて「宇宙都市シャングリラ」で幸福ではない人間を見つけた。
「少年?」
背丈に合っていない上着を身につけた少年は反応しない。自分が呼ばれていると気付かないまま、空を眺め続けている。
息を一度吐いて、志は少年の背後に立つ。
「君」
「うわっ」
びくっとされた。とても、びくっとされた。
振り向いた少年の目は淀んだ海の色をしていて、輝きはない。白目が目立つ。不健康とまではいかなくとも、何かしらの悩みを抱えていることは窺える。
「おにーさん、だれ?」
おじさんと呼ばれなかったことに内心でほっとしつつ、志は自身について説明をした。今日「宇宙都市シャングリラ」に来たばかりの関係者だと話す。
そして、目の前の少年は「ライゼン」という名の子どもだと知った。
ライゼンは志が眉を寄せるほど純真で、素直で、そして警戒心というものが欠如していた。一を質問したら、三が返ってくるという有様だ。おかげで、知ろうとしなかったことまで教えられた。
「わかった、ライゼン。君は俺の先輩にあたるんだな。だったら、これは手土産だ」
ライゼンに手を差し出すように言う。素直に両手を差し出された。志はその手の平の上にサブレの入った包みを置く。
「ホワイトデーというには遅いが。まあ、暦ではまだ三月だから許されるだろ」
自分を納得させるように志はぽそりと洩らした。ライゼンは手の中にあるサブレをまるで聖遺物に触れているかのごとく、掲げる。
そして一転し、笑顔を浮かべた。
「ありがと! ココロおにーさん!」
「喜んでくれたならよかったよ。だけどな、普通は初対面の相手から菓子とかをもらったらいけないからな」
「そうなの!?」
当然のことを口にしただけだというのにとても驚かれて、今度は志がびくっとする番だった。
◇◇◇
公宇暦三十二万五千七百八年 三月二十二日 午後十時四分 天曜
記載者 篠崎 志
……といったことが、今日の出来事だ。
ライゼンという少年はこの星においては明らかなイレギュラーだろう。だからこそ、他の「宇宙都市シャングリラ」の住民についてもっと知らなくてはならない。必要によっては、上層部に位置する存在とも接触する必要がある。
この手記のことが露見した際に備えて、当たり障りのないことと職務上のことは分けて書き残しておく。
さて、全てを監視しているというのなら、ウォッチャーよ。
俺の裏を掻いてみろ。
(以下は共通宇宙語以外の言語で記載されているため、読み取り不可)
