ふう、と息を吐き。くいっと額を拭う。
「やりとげましたわ」
一年の掃除を全て落とし終えたクロハラは満足げな表情で「モノクロエンド」の住まいを見渡した。一時期は依頼によって住まいを離れざるを得ない日々もあったが、その間に蓄積した埃や汚れもいまは綺麗に拭い去られている。
シラヒメはクロハラの努力を手伝いという形で一番近くで見ていたのだが、ただ拍手を送ることしかできなかった。
クロハラを手伝ったといってもたいしたことはしておらず、レプラカーンという小柄な種族であるために、クロハラの手の届かない場所を代わりに掃除したくらいだ。「カンキセン」魔動機の手入れをするにあたってはクロハラに何度も「詰めが甘い」と叱られる場面もあった。
だが、いまはそれら全てがよい思い出だ。部屋に立ち込める空気が清浄であることを感じる度に清々しい気分になる。
「随分と立派な家になったよね」
「ええ。最初の頃と比べると、大変な違いですわ」
モノクロエンドが拠点としている街は実力主義であるが平等な街だ。支払うべき対価を払ったならば、相応の物が手に入る。最初は冒険者ギルドに付属している宿屋で寝泊まりをするレベルであったシラヒメ達も、いまは家という立派なハコを所有している。クロハラがこだわったセキュリティは最高レベルで蟻の一穴すら作ることを許さない。他にもなぜか波止場があったり、同居人として他の街の支配者がいたりもする。
そこまで考えて、シラヒメはふっと遠い目になった。
「なんかさ、たまに身の丈に合っていないんじゃないかって不安になるよ」
「冒険者としてあと一歩で最高峰まで辿り着く御方が、何を仰いますか。それに、シラヒメさんは私の主人なのですから、もっと自信を持ってもらわないと困ります」
いつも通り厳しいクロハラの叱責にシラヒメは苦笑した。
このまま部屋に立ち続けているのも間が抜けているので、シラヒメとクロハラはリビングに戻る。部屋の中央では後から仲間に加わったおおりが、テキストを前にして唸っていた。
「おおりさま、どうかなさったのですか?」
「宿題に詰まってる。クロハラは魔導機術が得意なんだよね、ここ、教えてくんない?」
おおりは解答に困っている問題文を見せるが、シラヒメには何がなんだかさっぱりだった。魔動機術は専門外なので当然なことだが、少々情けなさは隠せない。その間もクロハラはてきぱきと解答の助言だけをして、答えを教えることはしなかった。
おおりは唇を尖らせる。
「答えを直接教えてくれてもいいじゃん」
「それではおおりさまのためにはなりませんわ。メイドは甘やかすことまで仕事に含まれていませんの」
「もう」
それ以上、クロハラに絡むことはしないでおおりは問題集に向き直った。
「あとさー。召異魔法とかデーモンルーラーの宿題もあんだけど。エンドがいないから、全く頼りにならなくて」
「そういえば、エンドさんがいないね」
シラヒメは周囲を見渡した。姿も気配も感じられない。
とはいえど、エンドが一人でふらふらと出歩くことには慣れているので心配はしていなかった。エンドは一番裏社会に長けている人物とも言える。
大掃除は済んだので、さてどうするか。
シラヒメは考えて、外に出ることにした。
「食材の買い出しに行くけど、二人はどうする?」
「お手伝いしますわ」
「あたしも行くー。宿題飽きた」
勢いよく起き上がったおおりに、学校が始まるまでに宿題は間に合うかを尋ねると、自信に溢れた様子で返された。
「シラヒメ。冬休みってのはな、年が明けてもまだあるもんだよ」
「それは確かに」
つまりは宿題も年明けまで持ち越すということだ。
おおりが判断したことならば問題は無いと、シラヒメは家を出た。クロハラとおおりも付いてくる。
バザールに足を向けると、年末だということで普段よりも活気に溢れている。途中でホームセンターで働く兎の子や、ウロボロスの社長親子とも顔を合わせることになり、挨拶をするという出来事もあった。
この一年で随分と顔もコネも広がったものだ。
改めて、激動の一年であったことを思い出しながら、シラヒメたちは店を眺めていく。その途中で、シラヒメは魚屋で買い物をすることにした。じっくりと、目利きをしつつ、赤々とした鯛を指さす。
「これ、もう少し負けてもらえません?」
「仕方ねえなあ、八掛けならいいぜ」
「ありがとうございます。だったら、この蟹と数の子も」
商品の値切りも行いながら、左手に抱える荷物が重くなっていく。
クロハラやおおりという女性陣には荷物持ちをさせられないため、自然とシラヒメが両腕で抱えるようになった。
「これくらいでしょうか」
「そうだね。もう、持てそうにないよ」
「貧弱だなあ、シラヒメは」
おおりに、にまにまとからかわれる。言われっぱなしのシラヒメは「来年はもう少しだけ筋力もつけようかなあ」などと考えた。器用と敏捷、精神を伸ばしすぎていたのかもしれない。
バザールを抜けて、家まで戻っていく。
モノクロエンドの住居は人間区の外れにあるので、バザールからは大分距離がある。裏通りの方が近いくらいだ。
その、裏通りが見える辺りにさしかかったところで、見付けた。
エンドがいた。
足音を忍ばせながら、シラヒメたちはエンドに近づいていく。建物の角から覗くと、エンドが何をしているのかわかった。
髪を切っていた。裏通りを住まいとする、身だしなみが上品とは言いがたい子どもたちの散髪をしていたようだ。
「ほら、終わりだ」
「ありがとー! エンドのおじちゃん」
「……エンドさんのお年って、いくらなのでしょうね」
クロハラが呟いた。
外見は若いのだが、実年齢はそこそこ付き合いのあるシラヒメも教えてもらったことがない。曖昧に首をかしげることしかできなかった。
「で、そこから覗いている三人。ばれてんぞ」
視線を向けられないまま、エンドに呼びかけられて、シラヒメとクロハラ、おおりは大人しくエンドの前に出た。
全く、といった様子で腕を組まれるが、おおりは相手の機嫌など気にしない。
「年末の床屋は忙しいって言うけど、エンドもそうだったの?」
「べつに。ただの暇つぶしだ、こっちは本業じゃねえ」
エンドは散髪用の鋏をベルトにしまう。どうやら、エンド理髪店は閉店したらしい。
先を歩き出すエンドの後ろ姿を見ながら、エンドには謎しかないと考える。
どうしてシラヒメという当時の炊きたてほかほかの新米の面倒を見ようと決めたのかも、いまもパーティの一員として付き合ってくれているのかも、その理由がわからない。
だけれども、エンドの胸の内が分からなくても構わなかった。これからも、まだ当分は四人で冒険者といった稼業を続けていくのだろう。その間に分かることもあるはずだ。
クロハラも目的があるようだが、その目的を果たす手伝いも、いまの自分にならできるだろう。
解決しなくてはならない依頼はまだ沢山あって、年が明けても忙しない日々が続く。
だけれども、シラヒメは満足していた。今年一年は無事に五体満足で終えることができた。来年もまた、時に大事に巻き込まれながらも、クロハラとエンドとおおりと日々を過ごせることができたらよい。
「シラヒメさま? 早く来てくださいませ」
「うん。いま行くよ」
荷物を両腕に抱えながら、シラヒメはエンド、おおり、クロハラの後を歩いて行く。
まずは年明けの料理の仕込みをしないとなあと、考えた。
一年は過ぎる。
そしてまた、新しい時代を迎える。
登場PL
シラヒメ・エンザ(成瀬)
夜月エンド(Wish様)
クロハラ(夏将軍様)
おおり(NPC)
