最後の一枚を仕分け終えると、シラヒメ・エンザは区切りとして目印となる赤い紙を一番上に置いた。
シラヒメは臙脂の髪に青いバンダナを巻いている、深紅の瞳の青年だ。素早さと器用さを生かして刀を操り、闇の魔法も扱う冒険者で「彼岸の蓮」というパーティのリーダーを務めている。いまも「彼岸の蓮」が拠点としている「泡影の夕衣亭」で冒険の収集結果であるスクロールの整理を率先して行っていた。
事が落ち着いたら空腹を覚えたため、シラヒメはスクロールを共用の棚にしまい終えてから、一階へ下りていく。
そろそろ昼食の時間だろう。
宿の主人に今日の昼食は何か、もしくは厨房が空いているのならば貸してもらおうかなどとシラヒメは考えていたが、宿のラウンジに入ると、何よりも先に香辛料の香りが鼻をついた。甘やかさはない。刺激、と例えるとしっくりくる辛い匂いがした。
シラヒメはいつものバーカウンターに宿の主人が立っていないのを確かめると、テーブルに座っている、妙に機嫌の良さそうな金髪の青年に話しかけた。
「カタクリ。誰か、料理でも作っているの?」
懐っこい翠色の目を向けて、カタクリは満面の笑みで頷いた。
カタクリは「彼岸の蓮」でスカウトの役目を担っている。手先が器用で陽気だが、少しばかり手癖の悪いムードメーカーだ。戦いの獲物は短剣を主にして、多種多様な暗器も扱うことができる。
シラヒメにしてみれば、冒険者になどならなかったら決して縁など結ばれなかった性質の男だ。カタクリも最初はシラヒメを甘く見ていたようだが、徐々に評価を変えていき、いまはよい友人となっている。
そのカタクリが想いを寄せている相手がいる。同じ「彼岸の蓮」の仲間である、女装の麗人であるリュウゼツだ。
シラヒメはカタクリの上機嫌さから、リュウゼツが昼食を作っているのだと推察して、場を離れようとする。しかし、カタクリに腰から抱きつかれて足を止めることになった。
「リュウゼツちゃんが俺のためにオムライスを作ってくれるんだ! そのための条件として、お前も昼食に同伴させろっていうんだよ! だから、逃がさねえぞ」
「人を巻き込まないでくれ!」
悲痛な叫びを上げるのだが、カタクリに腕の力を緩める様子はない。抵抗するのだが、愛の力というものによってなのか、シラヒメが抜け出すことは叶わなかった。
シラヒメは諦めて、カタクリの向かい側の席に座る。いま刀を持っていないことを心から悔やんだ。
厨房から聞こえてくる、コメを炒めているだろう音を聞きながら、シラヒメは内心で頭を抱える。
宿の主人も何を考えているのだろう。リュウゼツはあのたおやかな外見からは想像もできないほど、破壊的な料理の腕をしているというのに。料理をする際の手順も、仕上がりも普通だから、大抵の人は口に含むまで気付かない。
だが、一度舌に乗せたらリュウゼツの料理は味覚を壊す。
料理を趣味とするシラヒメにしてみると、絶対に食べたくないものの一つだった。
「ヒガンたちはどこに行っているの?」
現実逃避も兼ねて、カタクリに聞く。
「ルリトウとヤグルマと三人で食事だってさ。『シーくんを置いていけませんわ』ってヒガンちゃんは言っていたけど。過保護だな、相変わらず」
けらけらと笑うカタクリにシラヒメはまた頭を抱える。
ヒガンたちを恨んではいけない。いまは、この場をどう切り抜けるかだけが重要だ。
頭では分かっていても、うきうきとしているカタクリを見ると恨めしくなる。すでに何度もリュウゼツの料理で昏倒しているはずだというのに、懲りていない。
それは構わないがこちらを巻き込まないでくれ。
「リュウゼツちゃんが、俺のために手料理だって! なんて甘酸っぱい響き!」
「だったら、二人で味わってくれたらいいのに」
「シラヒメって、ご主人様なのに妙にリュウゼツちゃんに冷たいよな。もっといたわりってものを持った方がいいぜ」
突如として始まったカタクリの説教にシラヒメは肩をすくませた。
「俺とリュウゼツはそんな関係じゃないよ」
「なら、なんでリュウゼツちゃんはお前の従者をやってるんだ?」
答えは一つしかない。
「わからないよ」
リュウゼツが何を考えて、自身に仕えたいと思ったのかも、その先にしたいことも何一つわからない。ただ、あの寂しさを抱えた瞳で見つめられると拒絶することもためらわれて、結局流されてしまっている。
シラヒメは自身の優柔不断なところをよくないのだと思っているが、性分なのか直すこともできない。
厨房からまた、オムライスの匂いが漂ってくる。シラヒメは眉をひそめた。
カタクリはご機嫌な様子を隠そうともせず、シラヒメは心中穏やかではない。正反対の反応だ。
「そういや、シラヒメって好みの子のタイプとかあんの?」
「それはあるよ。一応」
「どういう子が好きなの!?」
若者らしく、カタクリは恋愛話に飢えているのか、振ってくる。シラヒメは困った。悩みながらも、真面目に考える。
「まあ、やっぱり、優しい子かな?」
その時、厨房から調理器具が崩れたのか、どんがらがっしゃんと大きな音が立った。
「リュウゼツちゃん、大丈夫?」
「はい」
か細い声が返ってきたが、シラヒメには不思議と威圧的に聞こえてしまった。
翠の髪と朱い瞳の、街を歩く途中に十人がいたら、八人は振り返りそうなほど儚げかつ整った容貌をしているリュウゼツは、トレイに二つのオムライスを乗せて、厨房からしずしずと出てくる。カタクリとシラヒメが座っているテーブルに、音を立てずに皿を置いた。
「いただきます!」
カタクリはスプーンを握ると、暖かそうな黄色い布団にくるまれたケチャップライスに喜び勇んで襲いかかる。ケチャップライスと卵の生地をスプーンに載せて、芳しい香りを堪能して、口に運んだ。
そうして気絶した。
リュウゼツは驚いた様子も見せない。すでに七回は経験していることなので、わかりきった反応なのだろう。
シラヒメはオムライスを中心から割っていった。見た目は普通のオムライスと全く変わりはない。
「調味料で誤魔化しているけど、少しの毒を混ぜているよね。カタクリには神経系の弱いのだけど、俺のは」
悪意というスパイスが込められている。
シラヒメはスプーンをテーブルに置いた。指を組み、リュウゼツを見上げる。
リュウゼツの表情は変わらず淡々としていて物憂げだった。自身が被害者だとすら考えているように映る。
そのことがいつも疑問だった。リュウゼツはヤグルマのような明確な憎しみを向けてこない。朱い瞳に宿る感情は常に悲劇に彩られていた。そして、シラヒメを責める。
「あなたのせいだ」と訴えてくる。だけれど、その内容がわからない。
「リュウゼツは、どうしてそんなに俺を狙うの?」
初めて尋ねると、リュウゼツは薄く笑った。
「それは」
続く言葉は呪文の詠唱で、油断していたシラヒメは一瞬にして眠りに落ちる。
リュウゼツはスプーンを手に取って、シラヒメの首筋に向かって、振り下ろ。
「いいよ、やれば?」
手は止まった。
リュウゼツが振り向いた先には、出かけていたはずのヤグルマがいた。茶色い髪に、青い瞳の斜に構えているところも様になっている美少年だ。
リュウゼツはスプーンを振り上げたまま、感情のない瞳でヤグルマを見る。
「僕もこいつが大嫌いだ。手を下してくれるなら儲けものっていったところさ」
ヤグルマもまた淡泊な憎悪だけを宿したまま、眠ったままのシラヒメを見やる。
この場には二つの憎しみがあった。それらはシラヒメに向けられていた。だけれど、シラヒメは何も罪を犯していないことをリュウゼツもヤグルマも知っている。
それなのに憎悪している。
リュウゼツは黙って、スプーンをテーブルの上に戻して、ヤグルマの横を通り過ぎる。
「弱虫」
「僕が呪っているのは『エンザ』ですから」
その言葉を聞いて、ヤグルマは口元を苦く曲げた。
「うわ! 何があったの」
低く大きな声を出したのは、青い巻髪を高く結わいた大柄の男性であるルリトウだった。金の瞳で周囲を見渡す。
リュウゼツは親友であるルリトウに向かって、あっさりと自白した。
「僕に昼食を作ってもらいたいとカタクリさんが言ったから。ついでにシラヒメさまの分も作ろうと思ったのだけれど」
「無茶を言いますわね」
次に現れたのは、シラヒメの双子の姉であるヒガンだった。シラヒメと同じく臙脂の髪に紅い瞳をしていて、こちらも紛れもなく美しいと称えられる容姿をしている。白と青の神官の衣服を揺らしながら、ヒガンは治療の魔法を唱えてカタクリを起こした。
ルリトウも眠っているシラヒメの背中を強く叩いて、起こす。
目覚めた二人はどちらも事情を把握していない。シラヒメはうっすらと分かっているようだったが、カタクリは「またリュウゼツちゃんの料理を味わい損ねた!」と悲鳴を上げている。
「まったく」
ヤグルマは呆れた独り言を洩らさずにはいられなかった。
彼岸の蓮とは、こういう面々なのだから。
登場PL(彼岸の蓮)
シラヒメ・エンザ
ヒガン・エンザ
カタクリ
リュウゼツ・ラセン
ルリトウ・ヴァン・セルン
ヤグルマ・エンザ
